未来の愛大生へ

2023.07.24
人生いろいろ、学びもいろいろ

山室 佐益 准教授

●大学院理工学研究科(工学部工学科材料デザイン工学コース)
●ナノ材料、磁性材料、高温セラミックス材料

皆さんは、「大村益次郎」という人物を知っていますか?激動の幕末?明治初期に活躍した異才の一人です。益次郎は愛媛にも縁がありました。もとは長州(今の山口県)出身で、若い時に蘭学で有名な大阪の緒方洪庵塾(適塾)に学び、塾頭まで務めた逸材です。その後、蘭方医(西洋医学に基づいた医者)として故郷で暮らしていましたが、愛媛南部の宇和島藩に蘭学者として招聘されて以降、軍事的才能を開花させ、当時日本随一の軍事的逸材と評されるほどでした。長州藩が幕府に攻め込まれた長州征伐では総司令官として軍勢に勝る幕府軍を倒し、その後の倒幕の流れを決定づけました。維新後の新政府では近代陸軍を創設するという重責を果たしています。今でも、東京の靖国神社境内には彼の銅像が祀られています。

益次郎が愛媛に滞在した宇和島藩は、石高10万石の小さな藩でした。藩士への教育に熱心で、蘭学の名門として知られていました。江戸末期に、藩主であった伊達宗城(むねなり)が益次郎を宇和島に招き、蘭学、近代兵学の教育?研究に力を入れました。当時、適塾を退塾した益次郎は郷里に戻り、流行らぬ村医者として埋もれていましたが、そんな彼の才を見抜いて抜擢し、医学とは無関係な兵学の研究を託した宗城の慧眼には脱帽します。時代はちょうど黒船来航の頃。西洋軍事技術の優位性を痛感した宗城の命を受け、益次郎は純国産の西洋式蒸気船を自力で作ってしまったのです!しかも、一緒に取り組んだのは、提灯張り替え職人でした。専門知識や設計図もなく、見よう見まねで作ってしまった益次郎らの力量には驚くばかりです。まさに、ものづくりに携わる「工学人材の鑑」です!小さな宇和島藩が成しえたこの偉業を、歴史作家の司馬遼太郎氏は著書「花神」の中で、「こんにちの宇和島市が市の独力で人工衛星をあげるにも似ていた」と述べています。余談ですが、益次郎は自己の利益や地位、栄達を求めることのない人物であったと言われています。きっと、時代の要請が、一介の百姓身分の出自でしかなかった彼を表舞台に引き上げたのでしょうね。

このように、異才は思わぬところから、思わぬ経緯を経て現われます。そして、異才を育てるには「多様性」が重要です。多様な文化、考え方、経歴等を持った人々が相互に刺激し合って、自分と異なるものを知り、理解することを通して、専門知識の修得のみならず人間としての器を大きく育むのです。先行きを見通しづらい時代だからこそ、自分を多様な環境に置き、研鑽を積むことが大切です。落ち着いた四国の中核都市松山で、青春の一時期を過ごすのも悪くないですよ。

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